3月の転職ハガキ

転職しましたというハガキが従兄から届いたのは、やっと春めいてきた3月の後半の事でした。年賀状もよこさずに、転職のお知らせをハガキで知らせる従兄は、学生時代は、ヨーロッパのどこそこの大学院出て、就職活動に1週間だけ帰国したと思いきや、都内や郊外の大手企業のOBに挨拶周りを兼ねて、面談をしただけで、第一希望のプラント業界の内定を決め、大学院に戻り卒業式に出席し、急ぎ早に帰国し、帰国した翌日には入社式に出席し、その後は、大人しく国内で新入社員として語学研修を行っているという知らせがくると、半年後には、海外赴任として国外の僻地に赴いているという絵葉書の知らせやら、現地の特産物が送られてきました。本人には、いつまでたっても会えない始末で、未だに大学院の卒業のお祝いや、その後の就職祝いも行っていなく、今度は転職祝いをしなくてはならないというのだから、さぞかし盛大にやらなくてはと考えてはいても、当人は派手な事は大嫌いときているので、周囲の家族は、何をすれば喜ぶのか気を使っています。従兄とは、高校までは同学年の同級生として育ったので、幼馴染というよりは兄弟に近い感覚で、お互いをチャン付けで呼び合っていました。たしかに、従兄は幼い頃から秀才ぶりは発揮していましたが、自分の想い描いた夢を1つ1つ叶えていく姿は、周囲の大人顔負けで圧巻でした。彼は、学生時代にはすでに、20代に経験したい企業を3つほどあげていて、その1つが、海外赴任に行ったプラント事業を行う企業でした。その他の企業には、宇宙プロジェクト機構や、金融機関名をあげていたので、おそらく今回は、どちらかへの転職が叶ったのだと思います。従兄自身は、勉強は良くできましたが、それを鼻にかけるような性格ではなかったので、私とは、よくバカ話しをしては、お菓子と炭酸ジュースを浴びるように飲んでいた記憶しかありません。いったいいつ勉強をしていたのだろうか・・。と学生時代をふり返っても勉強している姿は、ほとんど見た事がありませんでした。私自身は、高校卒業後に、パートスタッフとして図書館で働きながら、地域の楽団に所属し、チェロ奏者として週末だけの活動を行っています。楽団の公演は小規模で、地味なものなのですが、自分達の活動の拠点としては満足しています。世界に羽ばたく幼馴染の従兄の活躍は、目を見張るものがあり、ちっぽけな自分は、彼の活躍に励まされていますが、従兄はいつも私がうらやましいと言います。やりたい事を全て叶えていると言うのです。たしかに、図書館員になる事も、チェロの奏者として地元の楽団に所属する夢も叶え、さらに、同じ楽団の初恋の先輩への告白も成功しました。でも従兄の叶えている夢とは規模が違います。そんな事を口走ると、夢には大きい小さいは関係ないのだよ、とつぶやくのがいつもの口癖でした。そんな従兄から、転職ハガキの次に届いた知らせは、結婚式の案内状でした。なんだか、海外赴任よりも遠くに行ってしまった気がしましたが、やっと大学院の卒業のお祝いや、その後の就職祝い、転職祝いに、結婚のお祝いが同時出来るのだと思い、結婚式の案内状を広げた瞬間、なぜだか彼の叶わなかった夢を1つ知ってしまった気がしました。そこには、楽団の先輩と来るようにとメモ書きがありました。私の目から招待状に一粒の涙が零れ落ちました。涙でペンが滲みましたが、しっかりと出席と分かるよう丸印に目と口を書いてスマイル君にして返信しました。従兄の挙式は、6月です。

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